導入:静かなる危機、徐脈
救急現場で遭遇する心臓のトラブルは、速すぎる脈拍(頻脈)だけではありません。時に、心臓の鼓動が危険なほどゆっくりになる「徐脈(じょみゃく)」という、静かなる危機に直面します。
心拍数が毎分50回を下回り、めまい、意識の混濁、そして血圧の低下といった症状を引き起こす徐脈は、脳や重要な臓器への血流が不足している危険なサインです。放置すれば、心停止に至る可能性も秘めています。
今回は、この遅くなる鼓動に対し、私たちパラメディックがどのように立ち向かい、どの「相棒」(薬剤)の力を借りて心臓を励ますのか、その思考のプロセスを解説します。
アプローチの分岐点:不安定か、それとも安定か?
徐脈の患者さんに接触した際、私たちの思考はまず大きな分岐点に立ちます。それは「患者さんは安定しているか、不安定か?」という点です。
分岐点①:不安定な徐脈(レッドフラグあり)
もし患者さんが「不安定」を示すレッドフラグを呈している場合、私たちは最も迅速で確実な手段を選択します。
レッドフラグの例:
- 意識レベルの低下(AMS)
- 血圧の低下(ショック状態)
- 虚血性の胸痛
- 急性の心不全兆候(呼吸困難など)
これらのサインは、心拍数が遅いために重要な臓儀へ血液が全く足りていないことを意味します。特に、心電図が幅の広い波形(2度や3度の房室ブロックなど)を示している場合は、薬の効果が期待しにくいと判断します。
選択する治療: 経皮ペーシング (Transcutaneous Pacing)
薬が効くのを待つ猶予がない、あるいは薬が効かない可能性が高いと判断し、体外から直接心臓に電気刺激を送って強制的にペースを作り出す、最も確実な方法を準備します。
分岐点②:安定しているが症状のある徐脈
一方、めまいなどの症状はあるものの、血圧などはかろうじて保たれており、心電図が幅の狭い波形(Narrow Complex Bradycardia)である場合、最初の選択肢は薬剤になります。
第一の相棒:アトロピン (Atropine)
アトロピンは、心臓のペースを抑えている副交感神経の働きをブロックすることで、心拍数を増加させます。いわば、心臓にかかっているブレーキを一時的に外してくれる存在です。
使い方: まずアトロピンを1mg、静脈から急速に投与します。効果がなければ最大3mgまで繰り返すことができます。

アトロピンが効かなかった場合
アトロピンを最大量投与しても効果がない場合(アトロピン不応性)、結局は「不安定な徐脈」と同じ状態と判断し、経皮ペーシングや、次の相棒であるエピネフリンの持続点滴へと移行していきます。
第二の相棒:エピネフリン (Epinephrine)
アトロピンが効かない徐脈に対して、次に登場するのが「エピネフリン」(アドレナリン)です。
役割: エピネフリンは、心臓を直接刺激して心拍数と心収縮力を高める強力な交感神経作動薬です。アトロピンが「ブレーキを外す」薬なら、エピネフリンは「アクセルを直接踏み込む」薬と言えます。
使い方: 毎分2〜10mcg(マイクログラム)の範囲で持続点滴を開始し、患者さんの血圧や心拍数を見ながら最適な投与量に調整していきます。

まとめ
徐脈との戦いは、心臓のペースを取り戻すための段階的なアプローチです。
- 患者さんの状態が不安定(レッドフラグあり)か、安定しているかを瞬時に見極める。
- 不安定なら、経皮ペーシングの準備を最優先する。
- 安定していれば、まずはアトロピンを試す。
- アトロピンが効かなければ、ペーシングやエピネフリンへ移行する。
これらの判断を、モニターの波形と患者さんのバイタルサインを睨みつけながら、冷静かつ迅速に行う。それが、遅くなる鼓動に立ち向かう私たちの仕事なのです。