「夢」への挑戦

はじめまして、きょうへいです。
私は、大学2年生の夏休みに、アメリカのワシントン州にあるシアトルに語学留学をしました。
中学、高校と野球漬けだった私は、英語は全く勉強せず、「行ってみるか!」という気持ちだけで留学に臨みました。
シアトルの空港に無事に到着しましたが、周りにいるのは外国人だけ、看板も英語で何を書いてあるかわからない。スマホを開いても圏外。さらに、ステイホーム先まで送迎してくれる人たちは、見当たらない。入国して早々にパニックになりました。
その後、無事に送迎してくれる人に出会ったものの、会話はなにもできず、唯一言えたのが「サンキュー」。
ホストファミリーの家に到着して、家のルールを説明されるが、ほとんど理解できず、家の洗濯機を勝手に回したら、怒られたのを覚えています。
語学学校での下から2つ目のレベルのクラス。そこで出会ってしまった日本人。語学留学で失敗する原因1位であろう日本人と絡むという。不安のあまり2週間ほど一緒にいました。もちろん日本語でね(笑)

とある休日の出来事

ある日の休日、ホームステイ先の近くにある消防署に救急車があることを思い出し、救急救命士の卵だった私は、勇気を振り絞って消防署のインタフォンらしきボタンを押しました。
そうすると、消防士の女性が出てきてくれました。
“Hi, how’s it going?” と笑顔で挨拶してくれました。
留学1週間しかたってなかった私は、挨拶すら返せませんでしたが、とっさに文章が出てきたのです。
“Hi, I’m a Japanese Paramedic Student. Can you show me the Ambulance?” とカタカナ英語で言うことができました。
その女性消防士は、消防署内に放送し、何を言ってたかは覚えてないが、おそらく・・・「日本の救命士学生が来たよー、パラメディックたちこっち来てくれる」と言ったのでしょう。
そして、パラメディックの2人に出会い、救急車や消防署を見学させてくれました。
パラメディックたちは救急車の中にある器材を一つひとつ説明してくださいました。
もちろん、英語はわかりませんが、すべてが興味本位でしたので、その気持ちが伝わったのでしょうか。
また、大学で医療英語を履修していたおかげで、日常会話は壊滅的ですが、医療英単語は理解できました。おかげで体験ができました。

最後に夕食を消防署でごちそうになりました。
さらにホームステイ先まで救急車で送ってくださいました。(日本ではありえませんが・・・)

人間性に心を打たれました

私は、アポも取らずに(そんなこと取るべきだとも知らなかった・・・)、突撃したのに、快く出迎えてくれて、様々なものを見せて体験させてくれたパラメディックたちの心意気に感動しました。
さらに、彼らが働くシアトルは、心原性心肺機能停止の蘇生率が世界一を誇っている地域である。彼らの人間性を見習わなければと思いました。
その日から、私の夢はシアトルで救急救命士になることとなりました。
(自分いうのも変ですが、、、)人間っていうのは、自分が本気でなりたいことを見つけた時、そこにたどり着くためにはどうすれば良いのか調べて導き出そうとするものなんですね。

帰国後の変化

1か月の留学が終わり、日本に帰国し、夏休みが終わりました。
本気でなりたいことが見つかった私は、まず何をしたかというと、大学の友人や教員に言いました。
友人や教員に夢を宣言することで、進路に迷いがなくなること、腹をくくってやるだけ挑戦してみるという環境を作ることができました。
もちろん、勉強にも力が入るようになりました。
救命士の勉強はもちろん、1か月の留学でなんとなく慣れてきたリスニング能力を衰えさせないために英語の勉強を行いました。
留学中、偶々パラメディックの学生の授業を聴講できる機会があり、その時に、解剖学を一から行っている様子を見て、私も原点に戻って復習を行おうと思いました。