導入:見えない危機、忍び寄るショック
救急現場で遭遇する「ショック」の中でも、特にパラメディックの診断能力が試されるのが、「原因不明の低血圧」です。交通事故のように明らかな出血があれば、血圧低下の原因は明らかです。しかし、目に見える原因がないにも関わらず、血圧が危険なレベルまで下がり、意識が遠のいていく—。それは、体の中で「見えない危機」が進行しているサインです。
敗血症による血管の拡張か、重度の脱水か、あるいは気づかれていない内出血か。原因が何であれ、低下した血圧は脳や重要な臓器への血流不足を意味し、一刻の猶予もありません。
今回は、この忍び寄る危機に対し、私たちパラメディックがどのように循環を維持し、生命を支えるのか、そのアプローチを解説します。
現場でのアプローチ:圧力を取り戻せ
原因不明の低血圧の現場では、原因検索と並行して、何よりもまず血圧を回復させるための治療を開始します。
1. 全ての基本:酸素と体位
まず、高濃度の酸素を投与し、低下した血流で運ばれる血液の酸素量を最大限に高めます。同時に、患者さんを仰向けにし、足を少し高くすることで、脳や心臓といった重要な臓器に血液が集まりやすくなるようにします(ショック体位)。体を保温し、体温の低下を防ぐことも重要です。
2. 治療の主役:大量輸液
低血圧の治療の基本であり、主役となるのが「輸液(点滴)」です。血管の中に水分を補充することで、循環する血液量を直接増やし、血圧の上昇を図ります。
使い方: 私たちは、可能な限り太い静脈路を確保し、生理食塩水などの輸液を30mL/kgを目安に急速投与します。これにより、血管内を「満タン」の状態に近づけます。
3. 最後の砦:昇圧剤(ノルエピネフリン)
大量の輸液を行っても血圧が十分に回復しない場合、最後の砦である「昇圧剤」の登場です。
相棒:ノルエピネフリン (Norepinephrine)
この薬剤は、血管を強力に収縮させることで、強制的に血圧を引き上げます。全身の血管を締め上げることで、心臓や脳といった中枢の臓器への血流を確保するのです。
使い方: 毎分2〜4mcg(マイクログラム)という非常に少ない量から持続点滴を開始し、目標とする血圧(収縮期90mmHg以上)を維持できるように、投与量を慎重に調整(タイトレーション)していきます。
4. 隠れた出血への一手:トラネキサム酸 (TXA)
もし、原因不明の低血圧の背景に、気づかれていない内出血(急性出血性ショック)が強く疑われる場合、もう一つの選択肢があります。
相棒:トラネキサム酸 (Tranexamic Acid / TXA)
この薬剤は、血の塊(血栓)が溶けてしまうのを防ぐ(抗線溶)作用があります。出血が止まりやすくなる効果を期待して、1gを10分以上かけて点滴投与します。
まとめ
原因不明の低血圧との戦いは、霧の中で敵を探すような難しさがあります。しかし、私たちのやるべきことは明確です。
- 酸素と体位で、基本的な生命維持を図る。
- 大量輸液で、循環血液量を増やす。
- 効果がなければ、昇圧剤(ノルエピネフリン)で血管を締め上げる。
- 隠れた出血が疑われれば、トラネキサム酸 (TXA) の投与も検討する。
原因が何であれ、まずは血圧という「生命の圧力」を維持し、専門医の元へ患者さんを送り届ける。それが、この見えない危機に対する私たちの答えなのです。