導入:最も恐れるべき胸痛
「胸が痛い」— その主訴は、救急現場で遭遇する数ある症状の中でも、特に私たちの緊張感を高めます。なぜなら、その背後には「急性心筋梗塞(AMI)」という、一分一秒を争う致死的な疾患が隠れている可能性が常にあるからです。
急性心筋梗塞とは、心臓に血液を送る冠動脈が詰まり、心臓の筋肉が壊死してしまう病気です。一度壊死した筋肉は元に戻りません。私たちの役割は、専門治療が開始されるまでの間、心臓の負担を少しでも軽減し、ダメージを最小限に食い止めることです。
今回は、急性心筋梗塞が疑われる胸痛の現場で、私たちパラメディックがどのように考え、行動するのかを解説します。
現場でのアプローチ:時間との戦い
急性心筋梗塞が疑われる現場では、全ての行動が時間との勝負になります。評価と処置は迅速かつ並行して行われます。
1. 基本的な生命維持と評価
まず気道を確保し、呼吸状態と循環の評価を行います。同時に、12誘導心電図を装着し、心臓に特徴的な変化(ST上昇など)が出ていないかを迅速に確認します。
2. 酸素投与の判断
かつては胸痛の患者さん全員に酸素が投与されていましたが、現在はより慎重な判断が求められます。酸素飽和度(SaO2)を測定し、94%未満である場合に限り、酸素投与を開始します。
3. 最初の相棒:アスピリン (Aspirin)
心筋梗塞は血栓(血の塊)が原因です。そのため、血液を固まりにくくする薬を、可能な限り早く投与する必要があります。
役割と使い方: アスピリン324mgを噛み砕いて投与します。噛み砕くことで、錠剤の吸収が速まり、血小板の活動を抑える効果がより早く現れます。

4. 痛みを和らげる相棒:ニトログリセリン (Nitroglycerin)
心筋梗塞の痛みは、それ自体が心臓に大きな負担をかけます。この痛みを和らげるための強力な相棒がニトログリセリンです。
役割と使い方: ニトログリセリンは血管を拡張させ、心臓の仕事量を減らすことで胸の痛みを和らげます。0.4mgを舌の下に投与し、効果を見ます。
最重要注意点: この薬は血圧を下げる作用があるため、投与前に必ず血圧を測定します。収縮期血圧が100mmHgより高いことが投与の絶対条件です。痛みが続く場合、血圧を確認しながら3〜5分ごとに、最大3回まで繰り返すことができます。

5. 最後の砦:鎮痛薬(フェンタニル / モルヒネ)
ニトログリセリンを最大量投与しても痛みが治まらない場合、さらに強力な鎮痛薬(医療用麻薬)の使用を検討します。
役割と使い方: フェンタニルを1mcg/kg、またはモルヒネを2〜4mgから開始し、患者さんの痛みが和らぐまで慎重に投与します。痛みを完全に取り去ることが、心臓の負担を減らす上で非常に重要です。


まとめ
急性心筋梗塞が疑われる現場は、まさに時間との戦いです。心電図による迅速な診断、そしてアスピリン、ニトログリセリン、鎮痛薬といった相棒たちの力を借りて、心臓のダメージを最小限に食い止める。これら一連の流れを、私たちは常に頭の中でシミュレーションしながら現場へ向かっています。
一刻も早く専門医の元へ患者さんを送り届けること。そのために、現場での私たちの一つ一つの判断が、未来を大きく左右するのです。