導入:ただの腹痛ではない、という警鐘
「お腹が痛い」— それは誰もが経験するありふれた症状です。しかし、救急の現場では、この一言が「急性腹症」という、腹部に隠れた様々な重篤な病気の可能性を示す警鐘となります。
急性腹症とは、突然発症する激しい腹痛の総称であり、その原因は虫垂炎、胆嚢炎、膵炎といった炎症から、腹部大動脈瘤の破裂や消化管穿孔といった、一刻を争う生命の危機まで多岐にわたります。
私たちパラメディックの役割は、痛みの場所、性質、そして患者さんのバイタルサインから、その腹痛の裏に潜む「最悪の事態」を常に想定し、痛みを和らげながら、迅速かつ安全に専門医の元へ送り届けることです。
現場でのアプローチ:痛みの緩和と循環の維持
急性腹症の現場では、原因の特定はできません。私たちの目標は、患者さんをできるだけ快適にし、ショック状態に陥るのを防ぐことです。
1. まずは体位と酸素
腹痛の患者さんにとって、最も楽な姿勢は人それぞれです。私たちは患者さんが最も楽だと感じる体位(多くは膝を曲げた姿勢)をとってもらいます。同時に、酸素を投与し、体への負担を軽減します。
2. 痛みを和らげる相棒たち
腹痛の原因が特定できなくても、痛みを我慢させることはありません。痛みを和らげることは、患者さんの苦痛を取り除くだけでなく、心臓や体への負担を減らす重要な治療です。
- アセトアミノフェン (Acetaminophen): 比較的軽度な痛みに対して、経口で投与することがあります。
- フェンタニル (Fentanyl) / モルヒネ (Morphine): 激しい痛みに対しては、これらの強力な鎮痛薬(医療用麻薬)を静脈から慎重に投与します。
- ケトロラク (Ketorolac): 腎臓結石(尿管結石)による激しい痛みなど、特定の種類の痛みに対して非常に有効な非ステロイド性抗炎症薬(NSAID)です。
3. 吐き気を抑える相棒
激しい腹痛には、吐き気や嘔吐が伴うことがよくあります。
- オンダンセトロン (Ondansetron / ゾフラン): 吐き気を抑えるための第一選択薬として、経口または静脈から投与します。
- メトクロプラミド (Metoclopramide / レグラン): オンダンセトロンが効かない場合や、片頭痛に伴う吐き気などに対して使用することがあります。
4. 循環を支える輸液
腹腔内での出血や、嘔吐・下痢による脱水で血圧が低下している場合(ショック状態)、ただちに静脈路を確保し、30mL/kgを目安に急速輸液を開始します。これにより、全身の循環を維持し、重要な臓器を守ります。
まとめ
急性腹症の現場は、診断がつかないからこそ、パラメディックの観察力と判断力が試されます。痛みの裏に隠された最悪の事態を常に見据え、患者さんの苦痛を和らげ、全身状態を安定させる。私たちの役割は、病院での本格的な治療が始まるまでの、極めて重要な「橋渡し」なのです。