導入:時は脳なり (Time is Brain)
救急医療の世界で、脳卒中を語る上で最も重要な言葉、それが「Time is Brain(時は脳なり)」です。これは、脳の血管が詰まったり破れたりする脳卒中において、治療開始までの時間が1分1秒遅れるごとに、数百万もの脳細胞が失われていくという事実を端的に表しています。
一度死んでしまった脳細胞は、二度と元には戻りません。私たちパラメディックの役割は、脳卒中のサインを可能な限り早期に見つけ出し、一刻も早く専門治療が受けられる病院へ患者さんを送り届けること。まさに、時間との壮絶な戦いです。
今回は、この時間との戦いに勝利するため、私たちが現場で用いる評価方法とアプローチについて解説します。
現場でのアプローチ:サインを見逃すな
脳卒中の現場では、いかに早く、そして正確にその兆候を捉えるかが全てです。そのために、私たちは「BEFAST」という評価ツールを使います。
脳卒中を見抜く合言葉「BEFAST」
「BEFAST」は、脳卒中の代表的な症状の頭文字をとったものです。これらのうち一つでも当てはまれば、脳卒中の可能性が非常に高いと判断します。
- B (Balance) – バランス: 突然、立てなくなったり、ふらついたりする。
- E (Eyes) – 目: 片方の目が見えにくくなったり、物が二重に見えたりする。
- F (Face) – 顔: 顔の片側が下がり、うまく笑顔が作れない。
- A (Arms) – 腕: 片方の腕に力が入らず、持ち上げてもすぐに落ちてしまう。
- S (Speech) – 言葉: ろれつが回らなかったり、言葉が出てこなかったりする。
- T (Time) – 時間: これらの症状がいつ始まったかを確認し、ただちに救急車を呼ぶ。
重症度を測る「LAMS」スコア
「BEFAST」で脳卒中を疑った後、私たちは「LAMS(ロサンゼルス自動車脳卒中スケール)」という評価を用いて、脳の太い血管が詰まっている重症の脳梗塞(大血管閉塞:LVO)の可能性を判断します。顔の麻痺、腕の麻痺、握力の3項目を点数化し、スコアが4点以上であれば、血栓回収療法といった高度な治療が必要である可能性が高いと判断します。
現場での治療と判断
脳卒中の現場での治療は、薬剤投与よりも、全身状態の管理と迅速な搬送が中心となります。
- 気道確保: 意識レベルが低い場合は、気道が塞がらないように管理します。
- 血糖測定: 低血糖は脳卒中とよく似た症状を引き起こすため、必ず血糖値を測定し、もし低ければブドウ糖を投与します。
- 搬送先の決定: これが最も重要な判断です。症状が始まってからの時間に応じて、最適な病院を選びます。
- 発症4.5時間以内: 血栓を溶かす薬(t-PA)の投与が可能な、最も近い脳卒中センターへ。
- 発症4.5時間〜24時間以内: 血管内治療(血栓回収療法)が可能な、より高度な脳卒中センターへ。
私たちは、現場での滞在時間を最小限にし、病院へ向かう救急車の中から病院に連絡を入れ、到着後すぐに治療が開始できるよう情報を伝えます(プレアライバルノーティフィケーション)。
【コラム】究極の時間短縮:Mobile Stroke Unit
「Time is Brain」を究極の形で実現する取り組みが、アメリカの一部の都市で始まっています。それが、Mobile Stroke Unit (MSU) と呼ばれる、特殊な救急車です。
この救急車の最大の特徴は、なんと車内に小型のCTスキャナーを搭載していることです。これにより、脳卒中が疑われる患者さんのもとへ到着後、その場で頭部のCT撮影が可能になります。
撮影された画像は遠隔地の脳神経専門医に送られ、脳梗塞なのか脳出血なのかを即座に診断。もし脳梗塞であれば、病院到着を待つことなく、現場で血栓を溶かす薬(t-PA)の投与を開始できるのです。これは、治療開始までの時間を劇的に短縮し、後遺症を大幅に軽減する可能性を秘めた、まさに「未来の救急医療」と言えるでしょう。
まとめ
脳卒中との戦いは、病院に着く前から始まっています。
- 市民による「BEFAST」での早期発見と迅速な119番通報。
- 救急隊による正確な評価と、適切な病院選定。
- 救急車から病院への、スムーズな情報伝達。
これら全てのバトンが繋がって初めて、失われる脳細胞を最小限に食い止めることができるのです。「時は脳なり」—この言葉の重みを、私たちは常に背負って現場に向かっています。