二つの命を守るために:産科救急の現場

導入:二人分の命を背負う現場

救急の現場において、産科に関連する要請は最も特殊で、そして最も高い緊張感を伴うものの一つです。なぜなら、私たちの目の前には、一人ではなく、母体と胎児という「二つの命」が存在するからです。

妊婦さんの体に起きる変化は、お腹の中の赤ちゃんの状態に直結します。私たちのあらゆる判断と処置は、常に二人分の未来を背負って行われます。

今回は、この極めて専門的でデリケートな産科救急の現場で、私たちパラメディックがどのように考え、行動するのか、代表的な3つの危機的状況を例に解説します。


1. 子癇(しかん):妊娠高血圧が引き起こす脳の嵐

「子癇」は、妊娠高血圧症候群が重症化し、けいれん発作を引き起こした状態です。母体の血圧が急上昇し、脳への血流に異常をきたすことで、母子ともに極めて危険な状態に陥ります。

現場でのアプローチと相棒たち

子癇の治療の目的は、一刻も早くけいれんを止め、再び発作が起きるのを防ぐことです。

  • 第一の相棒:ロラゼパム (Lorazepam)
    まず、現在起きているけいれんを止めるため、抗けいれん薬であるロラゼパムを2〜4mg静脈投与します。
  • 主役となる相棒:硫酸マグネシウム (Magnesium Sulfate)
    けいれんを止めた後、そしてけいれんを予防するために最も重要な薬剤が、硫酸マグネシウムです。これは、脳の興奮を鎮める作用があり、子癇の治療における第一選択薬です。4gを30分以上かけて、ゆっくりと点滴投与します。

2. 分娩後出血:時間との戦い

出産直後は、胎盤が剥がれた後の子宮から大量に出血する「分娩後出血」のリスクが最も高い時間です。母体の血液が急速に失われ、出血性ショックに陥る危険があります。

現場でのアプローチ

分娩後出血の治療の基本は、子宮を収縮させて、血管を物理的に圧迫し止血することです。

  • 子宮底マッサージ (Uterine Massage): パラメディックがお腹の上から子宮を直接マッサージし、収縮を促します。これは最も基本的で重要な処置です。
  • 輸液と薬剤: 同時に、失われた血液量を補うために大量の輸液を開始します。また、出血が止まらない場合は、血液が固まるのを助ける薬剤トラネキサム酸(TXA)の投与も検討します。

3. 妊婦の心停止:二人を救うためのCPR

産科救急において最も困難な状況が、妊婦さんの心停止です。この時、私たちは母体だけでなく、お腹の中の赤ちゃんを救うことも決して諦めません。

特殊な心肺蘇生法

妊娠後期の心停止では、通常とは異なる2つの重要な手技が加わります。

  1. 子宮の左方転位: 仰向けで胸骨圧迫を行うと、大きくなった子宮が母体の太い血管(下大静脈)を圧迫し、心臓に戻る血液がなくなってしまいます。これを防ぐため、CPRを行いながら、もう一人が**子宮を体の左側へ押し続け**、血管の圧迫を解除します。
  2. 迅速な搬送: 妊婦の心停止では、蘇生の可能性を高めるために、一刻も早く病院で「帝王切開」を行い、赤ちゃんを娩出させる必要があります(死戦期帝王切開)。そのため、私たちは質の高いCPRを続けながら、最速で病院を目指します。

まとめ

産科救急の現場は、常に二人の患者さんを同時に診るという、特殊な視点が求められます。けいれんを止めるマグネシウム、出血を止めるためのマッサージ、そして心停止の際の子宮の左方転位。これらの専門的な知識と手技を駆使し、二つの命を守るために全力を尽くす。それが、産科救急における私たちの使命です。