導入:静かなる殺し屋、敗血症
肺炎、尿路感染症、あるいは皮膚の小さな傷—敗血症は、このようなありふれた感染症を入り口として、静かに忍び寄ってきます。それは、特定の細菌が直接悪さをするのではなく、感染症に反応した体の免疫システムが暴走し、自分自身の臓器を攻撃し始めてしまう、自己破壊の連鎖です。
この暴走が始まると、全身の血管は拡張し、血液はドロドロになり、血圧は維持できなくなります(敗血症性ショック)。そして、脳、心臓、腎臓といった重要な臓器が次々と機能不全に陥っていきます。目に見える派手な出血や症状がないにも関わらず、水面下で急速に生命を蝕んでいく—だからこそ、敗血症は「静かなる殺し屋(サイレントキラー)」と呼ばれるのです。
今回は、この見えにくい敵をいかに早期に発見し、立ち向かうのか、その戦い方を解説します。
現場でのアプローチ:敵を見つけ出すための評価
敗血症との戦いは、まず「疑う」ことから始まります。私たちは、「敗血症スクリーン」という評価基準を使い、この静かなる殺し屋の尻尾を掴もうとします。
敗血症スクリーン:危険なサインを見逃すな
「感染症を疑う所見」がある患者さん(例えば、熱がある、咳や痰がひどい、尿を出す時に痛みがあるなど)に加え、以下の基準のうち複数が当てはまる場合、私たちは敗血症を強く疑います。
- 血圧の低下: 収縮期血圧が90mmHg未満、または平均動脈圧が65未満。
- 心拍数の増加: 脈拍が毎分90回より多い。
- 呼吸数の増加: 呼吸が毎分20回より多い。
- 意識レベルの低下: いつもよりぼーっとしている、呼びかけへの反応が鈍い。
- 体温の異常: 38℃以上の高熱、または36℃以下の低体温。
- EtCO2の低下: 呼気終末二酸化炭素濃度が26mmHg未満。これは、体が酸性に傾いている危険なサインです。
このスクリーンで陽性となった場合、私たちはただちに病院へ「Sepsis Alert(敗血症疑い)」の連絡を入れ、病院側が受け入れ準備を開始できるようにします。
現場での治療:時間との戦い
敗血症を疑った瞬間から、治療は一刻の猶予もありません。現場での私たちの最大のミッションは、専門治療が始まるまでの間、全身の循環を維持することです。
治療の主役:大量輸液
敗血症によって拡張しきった血管は、さながら水漏れするパイプのようです。循環する血液量が相対的に不足し、血圧が低下します。この状態を改善するための主役が「大量輸使」です。
使い方: 私たちは太い静脈路を確保し、生理食塩水などの輸液を30mL/kgという非常に速いペースで急速投与します。これは、水漏れしているパイプに、それを上回る勢いで水を注ぎ込み、なんとか圧力を保とうとするイメージです。
最後の相棒:昇圧剤(ノルエピネフリン)
大量の輸液を行っても血圧が十分に回復しない場合、最後の相棒である「昇圧剤」の出番です。
役割と使い方: ノルエピネフリン (Norepinephrine) は、拡張しきった血管を強力に収縮させることで、強制的に血圧を引き上げる薬剤です。毎分2〜4mcg(マイクログラム)から持続点滴を開始し、血圧を維持できるように慎重に投与量を調整していきます。
まとめ
敗血症との戦いは、まさに時間との競争です。
- ありふれた感染症の症状の裏に、敗血症のサインが隠れていないか常に疑う。
- スクリーンで陽性となれば、ためらわずに大量輸液を開始する。
- 血圧が維持できなければ、昇圧剤の力を借りる。
現場での早期発見と、アグレッシブな初期治療こそが、この静かなる殺し屋に打ち勝つための、最も有効な武器なのです。