全身との戦い:多発外傷へのアプローチ

導入:全身が戦場となる瞬間

高速での交通事故、高所からの転落—。大きなエネルギーが体に加わった時、損傷は一つの部位にとどまらず、全身に及ぶことがあります。これが「多発外傷」です。頭部、胸部、腹部、そして四肢。体のあらゆる場所が同時に損傷し、大量出血によるショックが急速に進行します。

この状況では、もはや「どこか一箇所を治療する」という考えは通用しません。全身が戦場と化した患者さんを前に、私たちパラメディックのミッションはただ一つ。「死の三徴(Death Triad)」と呼ばれる、低体温・血液凝固異常・アシドーシスの悪循環に陥る前に、出血をコントロールし、専門医の元へ送り届けることです。

今回は、この最も過酷な現場の一つである、多発外傷との戦い方を解説します。


現場でのアプローチ:まず、血を止めろ (Stop the Bleed)

多発外傷の現場では、伝統的な「ABC(気道・呼吸・循環)」の評価順序が変わります。私たちは「C-ABC」、すなわち、まずCatastrophic Hemorrhage(生命を脅かす大出血)のコントロールを最優先します。

1. 止血帯(ターニケット)

手足からの動脈性出血など、直接圧迫では止められない大出血に対しては、躊躇なく止血帯(ターニケット)を使用します。損傷部位よりも体の中心に近い位置に、出血が止まるまで固く巻き付けます。「手足を失うリスクよりも、命を失うリスクを回避する」という、明確な判断です。

2. 創傷充填(ウンドパッキング)

足の付け根や脇の下など、止血帯が巻けない「ジャンクショナルエリア」からの出血に対しては、ヘモスタティックガーゼ(止血機能を持つガーゼ)を傷の奥深くまで詰め込み、内側から圧迫止血を図ります(創傷充填 / Wound Packing)。

3. 骨盤固定(ペルビックバインダー)

骨盤骨折は、それだけで大量の内出血を引き起こす、極めて危険な損傷です。私たちは、骨盤骨折が疑われる全ての多発外傷患者に対し、骨盤固定具(ペルビックバインダー)を使用して骨盤を安定させ、出血の拡大を防ぎます。


ショックとの戦い:失われた血液を補う

出血をコントロールすると同時に、すでに失われた血液量を補い、血圧を維持するための治療を開始します。これが「ショック治療」です。

1. 大量輸液

太い静脈路(IV)を2本確保し、生理食塩水などの輸液を急速投与して、循環血液量を物理的に増やします。目標は、収縮期血圧を90mmHg以上に維持し、脳や重要な臓器への血流を確保することです。

2. 血液を固める相棒:トラネキサム酸 (TXA)

重度の出血性ショックに陥っている患者さんに対しては、血液が固まるのを助ける薬剤、トラネキサム酸(TXA)の投与を検討します。受傷から3時間以内で、血圧が90mmHg以下、または心拍数が110回/分以上といった基準を満たす場合に、1gを10分以上かけて点滴投与します。これは、出血を止めるための、もう一つの重要な一手です。

【コラム】究極の時間稼ぎ:病院前輸血の最前線

多発外傷の記事で解説した大量輸液は、あくまで「応急処置」です。生理食塩水などの輸液(クリスタロイド)は、失われた血液の「量」を補うことはできますが、「質」を補うことはできません。血液の最も重要な役割である酸素の運搬能力や、出血を止めるための凝固機能は回復しないのです。

そこで、救命率を劇的に向上させるための次なる一手として、アメリカやヨーロッパの先進的なEMSシステムで導入が進んでいるのが、病院前輸血 (Pre-hospital blood transfusion) です。

これは、ヘリコプターや一部の救急車に、赤血球製剤や血漿といった本物の血液製剤を搭載し、現場や搬送中に投与を開始するというもの。まさに、ERの初期治療を現場に持ち込むようなアプローチです。

血液製剤を早期に投与することで、酸素運搬能力を維持し、失われた凝固因子を補充することができます。これにより、輸液だけでは悪化させてしまう可能性のあった「死の三徴(低体温・血液凝固異常・アシドーシス)」の悪循環を断ち切り、外科医のメスに繋ぐまでの貴重な時間を稼ぐことができるのです。

ロジスティクスの問題など課題は多いですが、病院前輸血は、ゴールデンアワーの概念をさらに進化させる、外傷治療の最前線と言えるでしょう。

 


まとめ

多発外傷との戦いは、まさに時間との競争であり、複数のタスクを同時に、かつ体系的に進める必要があります。

  1. まず、大出血をコントロールする(C-ABC)。止血帯、創傷充填、骨盤固定をためらわない。
  2. 次に、大量輸液トラネキサム酸(TXA)でショックと戦う。
  3. 胸部外傷や気道閉塞といった、他の生命を脅かす損傷の評価と処置も並行して行う。

現場でのこれらの介入は、あくまでも外科医のメスに繋ぐまでの「時間稼ぎ」です。しかし、この数十分間の戦いが、患者さんの未来を大きく左右するのです。